田の神さんのお話

角田産直童話村

 ここは、角田産直童話村です。
きょうも、角田の畑や田んぼから、おはなしが採れました。

第2話

第2話は、ほたるのお話です。

 「蛍の川」

「ただいまー」
「美穂か、早かったなー」
 おっぴいさんの声だ。西日のあたる縁側から、手を振っている。
「ただいま、帰ったよー」
 (なんでかなあ)と美穂は思う。おっぴいさんに呼ばれると、美穂の声もやさしくなる
おっぴいさんは、美穂のひいばあちゃんだ昨日、「喜寿」のお祝いもした。美穂の十倍も年を取っているが、気持はしっかりしている。美穂は、学校から帰ると、座敷を抜けてまっすぐおっぴいさんの部屋に行く。
襖を開けると、おっぴいさんは、縁から部屋に戻っていた。美穂のためにおいてある菓子を、小さなちゃぶ台の上にそろえていた。美穂は、おっぴいさんの寝床に寝そべった。膏薬の匂いが、つんと鼻をくすぐった。
「おっぴいさん、喜寿の次はなあに?」
「お米と書いて、米寿だよ」
 おっぴいさんは、空に指で、「米」と書いて見せた。
「八十八まで生きるとなあ、お米ほどありがたい年寄りになるんだよ」
「八十八で、お米なの」
「そうさあ、米一粒取るのだって、八十八もの、いや、もっと手間がかかるもんだよ」
「ふーん、そんなに?」
「機械がしていることを、みんな人間の手と足でやったんだよ。朝早くから夜遅くまで、泥だらけになって働いたのさ。美穂のお父ちゃんはもう、そんな苦労は知らないなあ」
「おっぴいさんは、すごいんだねえ」
美穂が感心すると、おっぴいさんは、ありがたいこったと、拝み始めた。
おっぴいさんは、何でも拝む。ご飯を食べる前、食べた後。病院からもらった薬にも、朝早く上るお天道様にも、手を合わせて拝む美穂は、拝んでるおっぴいさんが、好きだ。おっぴいさんは、美穂に必ずこう言う
「いいか、美穂。米ひとつぶにも、花にも虫にも、神様がいると思って拝むんだよ」
 おっぴいさんは、チンと鐘をならした。その音で、美穂は、はっとあることを思い出した。
「ねえ、おっぴいさん、笠島川を知っているでしょう?」
「ああ、わかるとも。でも、何年もいっていないねえ。ずいぶん変わったろうねえ」
「それがね、今年から、急に蛍が増えたんだって。お父ちゃんが、田んぼに薬を使わなくなったからだろうって。その分、田の草取りが大変だって笑っていたよ」
「ああ!」
おっぴいさんが大きな声をあげた。静かなおっぴいさんの体のどこに、こんな強い力があったのだろうと、美穂は驚いた。
「美穂、ばあちゃんな、ずっと家にばかり居ったけど、蛍を見に行きたいなあ。川に蛍が帰ってきたんだな。お父ちゃんに頼んできてくれ。美穂と、蛍を見に行きたいんだよ」
 いつもは、うっすらと閉じているおっぴいさんの目が、輝いていた。美穂は、なんとしても連れて行きたいと思った。
「おっぴいさん、夜に歩いて大丈夫?」
「なあに、美穂と一緒なら安心さ」
 その夜、晩ご飯を食べると、美穂の父さんが、笠島川まで、二人を車で送ってくれた。
笠島川は、山沿いの用水で、石積みの昔ながらの風情を残していた。
「美穂、いいな、おっぴいさんが転ばないように、よくよく気をつけろよ」
 父さんの声に、美穂は、思わずおっぴいさんの手をぎゅっと握った。
 夜の八時ごろになると、あたりはとっぷりと暗くなった。コロコロと、水の流れる音が耳に優しく響いた。やがて、
「あれ!光った!光った!」
 川の草むらの中から、ふうわり、ふうわりと蛍の光が浮かび上がってきた。一匹二匹、三匹四匹、あちらこちらと、たちまち、川の中一杯に、蛍が現れた。やわらかい光の筋が幾重にもゆらめき重なった。ここだけは時間がゆっくり流れていくようだった。美穂は、夢中でおっぴいさんの袖を引っ張った
「おっぴいさん、ほら、蛍がこんなに!」
すると、おっぴいさんは、目を細めながら言った。
「そうそう、昔は、田植えが今より遅くてなあ。蛍の時期まで田植えをしていたんだよ。夜遅く、真っ暗な中を田んぼから帰ってきてな、ここの川で、蛍の光を頼りに、足を洗ったのさ。ここだけは夢の世界だった。田んぼの疲れも、一瞬忘れる事ができたよ」
 その時、美穂の前を蛍が飛んだ。美穂は、ゆっくり手を伸ばすと、蛍を包み込んだ。
「美穂、いいものもって来たぞ」
おっぴいさんは、葱坊主のついたままの青ネギを持ってきていた。美穂は、ネギの中に蛍をいれた。すると、ネギの中で、青い灯りがぽうっと点った。
「すごい、蛍のネギ提灯だ!」
美穂は喜んで、何匹も蛍をすくっては、ネギに灯りを点した。
「ああ、よかった。もうこんな蛍遊びはできないかと思った。美穂のお父ちゃんが生まれたころだったよ。もう夜遅くまで田んぼ仕事をしなくとも、たんと米が採れるようになった。ところが、それとひきかえに、この川から、蛍も姿を消してしまったんだよ」
おっぴいさんは、一瞬、悲しそうな顔をした。そしてネギ提灯をなつかしそうに眺めると、美穂に向かって言った。
「やっと、蛍が、川にもどってくれたんだものな。美穂、もう逃がしてもいいか?」
 美穂は、こくりとうなずいた。
おっぴいさんは、川の縁にかがみこむと、蛍の入っていた青ネギをきれいに裂いた。
ゆうらり、ふうわりと、蛍が飛び出した。すると、あたりから、おっぴいさんを包み込むように、たくさんの蛍が集まってきた。その蛍の光が、おっぴいさんの顔を、一瞬、ほんのり白く照らした。
「あれ?おっぴいさん?」
 美穂は驚いた。美穂には、急におっぴいさんが半分も若返ったように見えた。おっぴいさんの顔は、しわが消え、背筋もしゃんとのびていた。
蛍が、川のほうへ飛んでいくと、おっぴいさんの周りは、光を失って、また暗闇に戻った。美穂はおっぴさんの顔を、じっと見つめたままだ。おっぴいさんの口元には、静かな微笑が浮かんでいた。
「蛍の川が蘇ったんだなあ」
美穂の父さんが、いつの間にか、二人の側に立っていた。おっぴいさんは、川の蛍に向かって、手を合わせた。
「おっぴいさん、何を拝んでいるの?」
美穂は、そう聞こうとしたが黙った。そして、一緒に手を合わせた。蛍の中に、神様を見たような気がしていた。