かつて丸森線というローカル列車が走っていました。
それはNHKのドキュメンタリーで紹介されるほど、全国でも指折りの赤字路線でし
た。
その丸森線にお座敷列車を仕立てて、角田を訪れた一団がありました。
このまちが鎌倉時代の有力者にゆかりの地だということから、遠路はるばる東京は目黒からやって来たのです。これが角田と目黒の出会いでした。
毎年五月になると、角田の農協青年部有志は稲の苗をたずさえて目黒区の小学校を訪
れます。校庭の一隅に造られたミニ田んぼで、児童と一緒に田植えをするためです。
どろんこになりながら自分の手で植えた苗を、子どもたちは大切に育ててくれます。
そして七月には手入れを、九月には稲刈りを手ほどき。土に触れ、農作業に歓声をあ
げる子どもたちに私たちも励まされて、「ヨシ、またおいしい米づくりに挑戦だ」と
角田に帰ってくるのです。目黒の田植えが恒例化したのは、一九九〇年、私たちが主
催したアジアの農民シンポジウムに区民の皆さんが参加してくれたことに始まります。
そのお礼の意味をこめて、農協青年部が区内二十二の全小学校にササニシキの苗を届
け、プランターを使って田植えの実演をしました。米づくりはなかなか好評で、本格
的に栽培してみたいと、校庭に水田を造る小学校も登場。翌年からは毎年数校で田植
えをしながら、稲の生育や米の大切さについて話しあいをしてきました。こうしたな
かから、本ものの農作業を見たいという子どもたちの声もあって、夏休みに全小学校
の代表が角田に遊びに来るようになりました。農家に泊まって田舎暮らしを体験。本
ものの田んぼに目を丸くし、朝もぎトウモロコシの味に夢中になり、セミの声や川遊
びに喜びの声をあげる子どもたちの姿に、私たちは角田の自然環境や自分たちの仕事、
暮らしを再認識したのでした。また角田の子どもたちも目黒で都会生活を体験。交流
の輪は広がり、新しい発見や相互理解のもとに、私たちの生活文化は次世代に受け継
がれようとしています。人の交流は、閉鎖的と一般にいわれる農村社会に新しい風を
送りこんでくれます。アジアの農民シンポジウム以来、角田の農協には視察者も多く、
米国人大学生が泊まりこみで農村体験に訪れたこともありました。いろいろな人が自
由に出入りして、いつか農村が交流センターのような役割を果たせたらと、私たちは
考え始めたのでした。