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あぶくま農学校 食べてみらいん みみより話 えとせとら 角田市農業振興公社

日本のお米はアジアのお米だ。 茨城大学講師
小松光一
ハノイで、僕は熱い飯にニョクマム(魚醤)とにんにくのうす切りをぶっかけハフハフ いいながら食った。光州でエゴマの葉っぱに熱い黒豆ご飯をのっけて(ポッサムして) 食った。サコンナコーンの街かどの屋台で、モチゴメごはんを手づかみで少し半殺しにし、トウ ガラシ醤油をつけて食った。 中国山系の尾根あたりの村で、むかごの炊き込みごはんを 食った。岩手の山形村で、イナキビとヒエと黒豆の入ったごはんをそばかっけと一緒に 食った。 マニラの街かどで僕は陸稲を一袋買った。 知り合いのジュンがさっそく炊いて くれた。 サラッとした味がフィリピンの焼畑を想い出し、チェンライのラフ族の焼畑を 想い出さ せた。アジアのお米はうまい。 僕の肚はアジアモンスーンの湿った泥から生まれた。だから、やっぱり米を食って命を 養ってるのだ。
元気の輪をひろげたい 。 有機野菜栽培農家
白川裕子
いま、国際化と自由化の大きな流れの中で、とかく袋小路に陥りがちな視点を広げて、 自分たちの社会、くらしを見直す時がきています。所詮、人間は気候・風土の産物であ り、時代的にしか生きられないとすれば、たまたま日本に生まれ、自ら希望して農業を 生業として選択した私にとって、アジアの農民との交流は、自分の位置、行動を決定す る上で、とても大切なものとなっています。交流の中からうまれたそれぞれの地域での 新しい試みは、眠っていた力を呼びおこし、地域を元気にします。何ものからも自由で、何ものにも依存しない関係。いのちを基本にすえた熱い想いとた ゆま努力とによって、それぞれの地域でしっかりと生きてゆくことこそが、相互交流 の大前提となるはずです。今後は、人的交流は当然のことながら、技術・智恵・モノの 交流を事業化して、より豊かで楽しい交流をつづけてゆきたいと思います。そして、そ んな元気の輪にあなたも参加してみませんか。
ミシンが教えてくれたこと。  

宮城県立角田女子高等学校 元生徒会長
三品尚子

私達の学校は、創立90周年を迎える伝統のある女子高です。被服室にはその伝統を見 守ってきた足踏みミシンが20台ありました。足踏みミシンは私達には使えないため、 廃棄するしかない状態でした。しかしタイでは、このミシンが貴重な現金収入の道を拓くということを知りました。そ こで私達は、このミシンをタイの女性達のために役立ててもらいたいと考えました。実際にミシンをタイに送るためには、修理と輸送のための費用が必要だったので、文化 祭で募金をお願いしました。卒業生や町の人達からのカンパもあり、ミシンは無事にタ イに旅立っていきました。これまで私達がイメージする外国は「欧米の国」だったような気がします。しかし、タ イにミシンを送るというこのことが、私達の目をそれ以外の国々へも向けさせてくれた と思っています。この活動に関われたことにとても感謝しています。
支援事業が実る
タイ・イサーン地方の農業。

元角田市収入役
吉田克哉

ノンソンフォン農場は、農家の研修の場であり農作物のモデル農場でもある。場内に作 られた野菜、薬草、果物等が順調に育っている状態を各農家が実際に見聞して推肥づく り、野菜づくり、家畜の飼育を行っている。特にイサーン地方は雨ごい農業のため、溜 池は全ての分野に活用され農業経営にも大きな役割を担っている。炉ばたまつりを契機 に支援活動を続けて来たこのイサーン地方の農業は、今、大きく変わろうとして、いや 変わってきている。川会長とそのスタッフが英知を結集して取り組んできた共育農場の建設、農産加工施 設、農業の技術指導の各般に亘る支援事業は、多方面に亘ってその成果が表れ、大きな 評価を得ている。「手をつなぐ会」の支援活動や技術交流は、最初、イサーン地方の農 民にとってカルチャーショックであったが、今は農民の取り組む姿勢は積極的である。 この積極性がある限り、「手をつなぐ会」の更なる支援事業は続いて行くものと思われ る。

いのちを守る農業
農業の国へようこそ
梅干のお手柄
今日までそして明日から(いのちを守る農業)
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タイ国農民との相互交流が意味するもの
ミシンの話
今日までそして明日から(タイ国民との相互交流)
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